300字ss「匂い」 2015.05.02
○恋の香○
ある朝、教室に入るとハッカのような甘い香り。
(なんか昨日より濃いよーな)
ざわつく教室を窓際へ向かえば、原因がわかった。わたしの席の二つ前でぼんやり外を眺める佐伯君。その視線の先をたどれば、グラウンドで朝練中の女子陸上部。
(硬派な彼にも春がきました、ってか)
そう、わたしだけが感じるこの香りは"誰かを想う人"から漂う――恋する印みたいなもの。
「おはよー、ハル」
朝から元気に肩を叩いてくる友人も、じつは先週から香りはじめてたりする。
「なっちゃん好きな人できた?」
「え!?」
はいビンゴ。
「そんなわかりやすい顔してる?」
「まーね」
恋する人がわかるこの能力。今のところ友人を驚かせるくらいしか用途はない。
○症例98○
内線の呼び出しで向かった受付には制服姿の少女がひとり。
「また見つけちゃいました」
囁く彼女をつれて署の喫茶室へ。紙コップのコーヒーを渡して話を聞けば、学校帰りに住宅街ですれ違った自転車の青年だという。
「臭い酷かったから最近だと思います」
手帳に書き込む手をとめ、向かいあった彼女を見る。そんなことまでわかるのか?
「なんか、力が強くなってるみたいで…」
両手で紙コップを包み、ほろりと苦く笑う彼女に胸が痛む。
「もう協力しなくていい」そう言えないかわりに、手を伸ばして頭を撫でた。
「お疲れさん」
「…はい」
患 者:恵 鈴香(17歳)
症 状:嗅覚先鋭―臭気(腐臭)の疑似知覚
備 考:現在、潜在殺人者発見のため警察へ任意協力中
○Robin○ 2015.05.05追加
客席のざわめきが舞台裏まで聞こえてくる。
なんど椅子に座り直しても落ち着かない。初舞台がディーヴァの前座だなんて。耳の肥えた客を前に失敗したら…そう考えると背筋が震えた。手にしたハンケチを握りしめかけて、慌てて力を抜く。
先生に借りた大切なお守り。あわく葉巻の匂いがするそれを胸に抱く。
貧民街で先生に拾われて一年。ひたすら歌う日々は、彼が病に倒れてもなお続いた。
<思うまま歌っておいで、私のロビン>
屋敷を出る前に聞いた言葉がよみがえる。頭をなでてくれた手の感触も、抱きしめてくれたぬくもりも――
「時間です」
男の声で我に返る。ハンケチを胸におさめて立ち上がれば、もう震えはおきなかった。
開演の、ベルが鳴る。