300字ss「渡す」 2017.07.01
○彼岸へ○
「向こうまで頼めるか?」
低い声で問う岸辺の男は黄色い肌に黒い瞳、額の真ん中を剃りあげた姿に一目で異国の者と知れた。差し出す手のひらには穴のあいた見慣れぬ硬貨が6枚。
「足りぬか?」
「いや、大丈夫だ」
「渡守どの、あちらは…今から行く場所は、海を隔てた某の国にもつながっておろうか?」
川の中ほどで静かに問う彼の声には、いつも舟に乗せる者たちおなじ――後悔と寂しさが淡くにじんでいた。この川と岸辺以外の世界を俺は知らないが、だからといって旅立ちに不安を抱かせる趣味もない。
「あっちは広いからな、お前さんの故郷にもつながってるさ」
「左様か」
「サヨーさ」
そう応えて黒い川面に櫂をさせば、懐の硬貨が涼しい音をたてた。
○六文銭のカロン○
「まだ渡ンねーのか?」
舟の上から呆れたように問う彼に離れた岸辺の人を指す。
「ったく」ため息とともに櫂を繰れば、長衣からのぞく手がしらしらと眩しい。
「いい加減渡ろーぜー」
しばらくして戻ってきた彼が舳先でしゃがみこめば、首飾りが涼しい音をたてる。丸い金属を連ねたそれは随分古そうだ。
「気になるか?」
こちらの視線をたどったあと「話してやるから乗ンな」そう言って手を差しのべる彼をズルいと思ったが、岸に居続けるのも正直飽きた。
いつか渡らなければいけないなら昔話を聞きながらの方がきっといい。
黒く静かな川を舟はゆく。
「これは異国の男に貰ったもンでな」
かすれた声で語りはじめる骸骨の名はカロン――冥府の川の渡守。