300字ss「酒」 2017.10.07
○特効薬○
土曜の昼下がり、縁側で胡坐をかく父さんの貧乏ゆすりが止まらない。あまりの勢いに足の間からさっき飼い猫が逃げてきた。
碁仲間との口喧嘩の勢いで禁酒宣言をしたのが4日前。家のなかでは声を荒げたり暴れたりはないけど、破裂寸前の風船みたいでうかつに声もかけられない。
再放送のドラマを眺め、猫を撫でつつ父さんを観察していると、買い物から帰ってきた母さんがお盆を手に縁側へ近づいた。
「お父さんここ置いときますね」
「ん」
しばらくして居間のちゃぶ台に置かれたのは白い饅頭。まだ温かいそれに手を伸ばし一口かじって気がついた。
(酒饅頭だ)
思わず縁側を見るとお盆の上には大きな湯呑だけ。胡坐をかいた膝はもう動いていなかった。
○インタビュー○
便利ですよ、遠隔操作ってんですか? 櫂を持った感覚があるのはありがたいですね。
―嗅覚も同期できるそうですが
ええそうです。最初は疑ってたんですよ。妙なヘルメットだのグローブだのつけるだけでわかるもんかって。だから病院で蔵の匂いがしたときはそりゃ驚きましたよ。
それにロボットだから重いモンでも軽々でしょ? 先祖代々の店を続けられて今は感謝してます。
―次世代機になにか希望はありますか
希望ねえ。あえて言うならこうなる前にもう一度、自分で酒を仕込みたかった、ですかね…いや、こりゃ愚痴だな。ははは。
―今日は後継者問題に向き合う酒蔵の取り組みついて紹介しました
―「わが町名人探訪」次回は10月14日の放送予定です
○晩酌○
「師匠は酔っぱらうことってあるんですか?」
「うん? 今も酔うとるぞ」
「全然変わらないように見えますけど」
「酔うとる酔うとる」
「…」
「呵々、そうむくれるな」
ぶ厚い掌で頭を撫でられる感触はすきだけど、子ども扱いはいい加減やめてほしい。昔に比べたら背も伸びだし胸だって…。
「酒を呑みながらお主の話を聞くのは心地よい」
沈みかける思考を止めたのは、淡々と語られた意外な感想。
「今日一日なにを見、なにを感じたか、飾らぬことばは好ましいと思うとる」
そう言って杯を一息に呑み干し、ふいに色の薄い瞳をこちらに向け数回またたかせた。
「なんだ、お主いつの間に酒をくすねた?」
その心底不思議そうな顔が今は憎らしいです、師匠!
○うわばみ○
「マスターおかわりー」
「あたしも~」
カウンターの向こうから間延びした声がかかる。閉店間際になっても飲みくらべを続ける男女はそれぞれがうちの常連だ。
「きみウワバミっていわれない?」
「しつれいねー、あなたこそぉー」
互い一歩も譲らないのは、男は女をホテルに連れ込む腹づもりで、女は酔い潰した男の財布をくすねる算段だからだ。今まで何人も泣かせてきた彼らが相対するとは皮肉な巡りあわせともいえる。
「お客さんこれで最後ですよ」
二つのグラスをサーブして店の入口へ。表の明かりを消し、静かにドアの鍵をかける。肩越しにカウンターを見れば並んで突っ伏した男と女。その光景に低い体温がほんの少し上がる。
丸呑みは久しぶりだ。