300字ss「音」 2015.09.05
○オトムシ○
この半年でやけに背が伸びた幼なじみは、今日も気だるそうに数メートル先を歩いて
いる。
とくに会話もなく町はずれの我が家に向かう帰り道。
ふと気づけば、さっきまで聞こえていたヒグラシの声がやんでいた。
「ミツル」
呼びかけに彼が足をとめて振り返る。
「 」
ことばを紡ぐ瞬間、視界が真っ白になって音が消えた。
「久々に見たなオトムシ」
「予報で言ってたじゃん、レベル4だって」
「…で、なに?」
「COYOTEの限定DVD届いたけど、見る?」
「マジか!? 行くっ!」
無邪気に喜ぶその顔に、聞こえなくてよかったと思ってしまう。
この関係を壊したくない。でも…伝えたい。
だからオトムシたちが喰いそこねるその日まで、あたしは何度でもこいつに告白をする。
○決行○
玄関扉のきしむ音に身がすくむ。
(帰って、きた)
じわりとにじむ汗を無視して耳を澄ませる。
冷蔵庫を開ける音、缶ビールを開ける音。しばらくして聞こえたのは満足げなゲップ。
「っ!」
思わず震えそうになる身体を押さえこむ。それでも過去の記憶に肌は泡立った。
ふいに弾けた笑い声…どうやらテレビをつけたらしい。また缶を開ける音。今日はピッチがはやい。
(睡眠薬って、どれぐらいで効くんだろう)
ふと探るように左手を伸ばせば、乾いた新聞の感触。小さな果物ナイフでも今は心強かった。
(大丈夫、今日で全部おわるから)
押入れのなかで膝を抱え、ひたすらその時を待つ。
ふすま一枚へだてた向こう側、野太い寝息が聞こえたら、合図だ。
○天上の音○
部屋には音が満ちている。
かすかに身をゆらす人びとの間を抜けて、彼女の前へ。
質素な衣をまとい、ゆるく胡坐をくんだ彼女は昨日ウタイになったばかりだ。ぽかりと洞のようにあいた口からは滔々と「阿」の音が流れるばかり。
「…」
その唇からつたう血を袖で拭いかけて、手を止める。ウタイに触れることは許されない。
食わず、眠らず。昼も夜も彼らは音を出しつづける。
耳をつらぬき、目を綴じて、ことばを紡ぐ舌さえ捨てて。
カミサマの声を肌に感じる歓びを胸に、息絶えるその日まで。
いつか僕もウタイになったなら、彼女の隣に座れるだろうか。
外界の一切に惑わされず、ただひたすら歓びをうたう。
――それは、とても幸せなことのように思えた。