300字ss「花」 2015.04.04
○緋牡丹○
「兄さま、兄さま!」
悲痛な声に目を覚ます。
視界には見慣れた天井と、涙を浮かべた妹の姿。とたん、彼女はこちらの胸にすがってわんわん泣き出した。
5分後、目を赤くした彼女に寝間着の袖をひかれ、連れられたのは庭の隅。
「ああ、またか」
ほころびかけていた緋色の牡丹。そのつぼみが無残に暴かれ、鮮血のように花弁を散らしていた。
「ひどいことをする奴がいたものだね」
つぶやいて、花を見せないように妹を抱えあげる。
「…兄さま」
そっと首筋にまわされる腕、すべらかな黒髪が頬にくすぐったい。12にもなって抱っこが好きな、愚かで愛しい妹。
「本当に仕様のないやつだな、お前は」
その指先が花粉にまみれていることを、僕は知ってる。
○彼女のわがまま○
「種といっても異物感はほとんどありません」
「植え込みは左右の肋間に行います」
「術後数日は安静にしてください…なにかご質問は?」
「いえ、よろしくお願いします」
病院帰り、人もまばらなバスに揺られ手もとの書類に視線をおとす。
葬花乙型播種術式。一般に「花葬」と呼ばれる遺体処理法。
「怒るかな」
彼にはなにも伝えていない。この手術を受けることも、その理由も。
キリリと罪悪感で胸がきしむ。
それでも、これだけは譲れない。
初めて発作を起こして十年、長いつきあいだからこそ予感がある。
次に大きな発作がきたら、きっとこの心臓は耐えられない。
苦痛に歪んだ死に顔を彼に見せるくらいなら――いっそ野花に埋もれてしまいたい。
○花葬○
帰ったら居間にレンゲが咲いていた。
花と緑の萌える塊は、横ざまに倒れた人のかたち。今朝、笑顔で僕を送り出してくれた彼女だった。
特殊な種を皮膚に植え、遺体を苗床にする方法は聞いたことがある。
でも、どうして彼女がそれを?
愛する人が死んだことより、なにも知らされなかったことがショックだった。
彼女の真意がわからぬまま、しだいに痩せていく塊と旺盛な花を眺める日々。
「…あ」
ふいに弾けたひらめきは、まるで天啓。
あれから緑の塊は随分ちいさくなった。
またひとつ、花からこぼれた種を腕の傷口に埋める。
いつかすべての種を植えて命を断てば、この身を苗床にレンゲは咲くだろう。
―――彼女と僕の血肉で育った薄紅色の可憐な花が。
○彼の楽園○
薔薇、アネモネ、牡丹、ラナンキュラス…。
形も大きさも違う赤い花を敷き詰めたベッドに横たわる。背中で潰れる花の感触。胸いっぱいに香りを吸い込めば頭の芯が甘く痺れた。
幼いころ図鑑で見た「それ」をはじめて摘んだのは二十歳のころ。
月明かりの寝室。震える両手でくるんだのは、愛しい母の抱いていた花。
ぞっとするほど艶やかで紅いダリア。
たくさんの花を集めた今でも、あの美しさに匹敵するものには出逢えていない。
胸に抱いた薔薇をそっと持ち上げる。
今夜摘んだばかりの花はまだあたたかい。たまらずに齧りつけば、あふれた蜜が首筋をつたう。
噎せかえるほどの香りに背筋が震え――一瞬、手にした花が赤黒い肉塊に見えた。
○花見○ 2015.04.13追加
扉を開ければ満開の桜。思わぬ光景に足が止まる。
「あら、いらっしゃい」
花の奥からのぞいた笑顔に吐息をひとつ。店、間違えたかと思った。
「どうしたの、それ」
「今月ずっと雨だったでしょ? だからお花見」
カウンターの定位置に腰かけながら、迷いなく花枝を生ける背を眺める。
「お待たせ、いつもの?」
「ああ」
ほどなく出された水割りを舐めつつ、視線は入口の桜へ。開店直後だからか僕以外に客はいない。
独り占め…贅沢だ。
「なんかイイね」
「ふふ、ありがと」
ぱちりとウインク。慌ててグラスをあおれば盛大に噎せた。
「あらあら」
こちらの背をさする手は大きく厚い。
このバーへ通い始めて半月、スキンヘッドのバーテンにはまだ少し慣れない。